http://practical-scheme.net/wiliki/wiliki.cgi?Shiro
の 2008/06/04 を見て。
基本的にshiroさんにすごく同意で、真逆の「今時の子供が羨ましい」同様、思ってしまうこともあるものの、まぁあんま言ってもしょうがないことだなぁと思うんだけど、一点。
kinabaさんが引用してた、知識を円でたとえるアナロジーってのはとてもわかりやすいし、強い自戒にもなるしでとてもいい話だと思うんだけど、
http://www.kmonos.net/wlog/61.html#_2125060507
その円のたとえは、個人の知識だけじゃなくて、学問分野だとかそういうものに対しても使えるんじゃないかなぁと思う。
最初は小さい点だったところを学者さんがどんどん円を広げていくイメージ。
このイメージで考えると、shiroさんの言う「マージナルなところ」のわくわくはそんなに変わらないと思うんだけど、重要性みたいなのは残念ながら少しずつ減っていってしまってる感じが少しする。
例えば実際、なんだろう物理だったらニュートンとかが中心っぽい街を開拓しまくって、その後も色んな方向に円を巨大化させてきたんだけど、最近はこうなんでも最先端な人ってあまりいなくなってきて、色々細分化専門家して少しずつ円を広げていってる感じだと思う。例えばノーベル賞一覧とか見るとそういうのは明らかに見て取れる。
もう一つ円のアナロジーから思いつく「俺は遅く生まれすぎた」弁護論として、円が広くなりすぎていて、高速道路を全力でつっぱしったとしても、円のはじっこまで到達するのに時間がかかってしまう、っていうのもあるかな、と思う。100年前と違って物理やるなら量力とか必須になってたりとかそういう。
逆に遅く生まれすぎた人の希望として、円と言いつつも全然真円じゃない、ってのがあるかなと思う。なんかたまに円が不自然にへこんでるところがあって、そこはまぁなんか大変開拓が難しいところなわけだけど、そこを突破すればへこんでたところを一気に埋められて、大きな成果!みたいな。
でもこんなの私には関係の無い話なのでした。そんなはじっこの開拓とかできるほど非凡な存在じゃないのは長年つきあっていてよくよくわかってるわけです。しかしそんな円の微妙な位置でふらふらしている子にも楽しいお知らせはあるとは思う。
一つはなんか円に見落とされてた穴が空いてて、ひょいと埋めるようなことがあるかも知れないということ。いやそれ、ホントにあるのかな…知らない。
もう一つは、はじっこの開拓に向かう子が高速道路出たところあたりで手間取ってたら、手伝ってやるっていうこと。いわゆる教育ってやつやね。本書いたりするのは道を作ってく感じでしょうか。
でもそんなマジメな話は私には関係ない話で、ここまでの話は実は、誰もやってないような役に立たないアホなことをやってれば凡人でも開拓ごっこができて楽しいよ、という本題の前フリだったのでした。
本題は略。