行動遺伝学

社会的に成功した人は、遺伝的に有利だったのか、環境が良かったのか、本人が頑張ったのか、犯罪を犯した人は、先天的になにかあったのか、教育や環境が悪かったのか、よくそういうことが気になります。ときどきその手のことを考えるヒントになりそうな本とかを読んでみたりしてたのですが、友人から教えてもらった本のおかげで、行動遺伝学というジャンルが、この手のトピックに科学的なアプローチで取り組んだりしているぽい、ということを知りました。というわけで、冬休みの自由課題的に色々読んだりしてみたので、なんか色々と書いてみます

結論から書いておくと、最初にあげたような疑問は、行動遺伝学を学ぶことによって完全に解決する、ということはなさそうです。ですが、いろいろわかっていることもある、考えるヒントになる、というあたりが収穫かな、と思っています

読んだもの

  • Introduction to Human Behavioral Genetics (https://www.coursera.org/learn/behavioralgenetics): Coursera です。 Coursera は新しいこと学ぶには最強ですねコレという感じです。今まで見た Coursera は全部そうだったのですが、さすが動画にして配信しようというだけあってか、すごく洗練された講義という感じで、わかりやすいし楽しいし、非常に良かった。余談ですが僕は Coursera で機械学習の講義やっただけで AI 人材をよそおっています
  • 心はどのように遺伝するか (https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00GHHYDIU/): 専門の先生が人間行動遺伝学についてわかりやすく書いた本で、 Coursera を除けば一番良かったものでした。科学的主張にちょっと著者の思いが混じっている?という感覚を受けたところがありました
  • なぜヒトは学ぶのか 教育を生物学的に考える (https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07H7HXV91/): ↑と同じ先生がもう少し新書ぽく、学習に集中して書いた、という感じかと思います。こっちはより思いが乗っていたような印象を持っています
  • 言ってはいけない―残酷すぎる真実― (https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01E6JQBD0/): 行動遺伝学の知見をセンセーショナルに書いた新書という感じ。ここまでで「思いが乗っている」みたいなことを気にしていた理由がこの本なのですが、出ている結果に対して著者が解釈を与えている量が多すぎるように思いました。 X という結果が出た時に、 A とも B とも解釈できる時に、 A だと断じて論じるような感じというか。あるいは新書によくある、衝撃的な一例を紹介して、そのサンプルを一般化するとかですね。科学的に真摯になると、どうしても歯に衣着せた書きかたになる傾向があり、この本はそれが無いので、痛快な解説になっていて、読み物としてウケそうな感じだなーと思います
  • 行動遺伝学入門―動物とヒトの“こころ”の科学 (https://www.amazon.co.jp/gp/product/4785358475/): 他と違って、人間以外の行動遺伝学についてが7割くらい。線虫とかマウスとかは倫理的な制約がゆるく、遺伝子ノックアウトして大量に生めよ増やせよ高速イテレーション、とかのワザが使えて便利そうだなと。哺乳類とかに対しても行動遺伝学研究があるらしいのだけど、これは便利でもなく、人間行動遺伝学のように実用的でもないので、研究も少ないらしい。まぁそうかという

おおむね Coursera の講義で面白かったことについて書くことになると思います

行動遺伝学とは。その歴史

遺伝学的なアプローチを使って行なう、心理学の一分野、らしいです。現代的な形になるまでにちょっと暗黒の時代があります

進化論のダーウィンのいとこであるところのゴルトンという人が優生学を始めたところに端を発します。優生学は「なんかナチス……」とかいうイメージですが、当時は世界的な流行だったとのこと。その没落はよく知られている通り。ユージーンという名前は優生学 (eugenics) の没落と同時期に減っている、とかいうグラフが面白かったです

Eugene という名の子の人数

その後、優生学ブームの反省から、今度は逆の方の極端に倒れ、環境で全てが決まると主張するのが人道的であり、それを肯定することが科学的にも正しい、という雰囲気が作られました。行くところまで行ったケースとして紹介されているのが John Joan case というやつ

ある双子、生まれた時に割礼手術をして、片方で失敗して男性器がダメになってしまいました。悲しむ親。そこにアドバイスする「環境が全て」論者の権威であった医者。いわく「手術して女性化するので、 Joan (女性名)として育てなさい。この件に関して本人には伝えてはいけない。大丈夫、人間は環境が全てなので性も変えられる」この教えに忠実に育てた両親。権威の医者は大成功と論文を書きます。ですが、本人は自殺願望持つ程度に違和感を感じ(今の感覚で考えると要するに性同一性障害ということかなと理解)、両親は秘密を明かし、本人は再度男性になる手術を受けます。いろいろあって、関連は定かではないですが(あるに決まってるという気もしますが)、元 Joan さんは自殺してしまっています

John/Joan は研究紹介に使われた仮名で、本名の Wikipedia エントリーがあります(なんか Coursera で紹介された話よりずいぶんエグい): https://en.wikipedia.org/wiki/David_Reimer

ずいぶんと野蛮な話に感じましたが、 1965 年とかで、比較的最近なんだなぁと

遺伝子で全てが決まる、選別しよう、は倫理的にもヤバいし、科学的にも正しくなかったが、環境だけで決まる、というのも科学的に正しくない。イデオロギー先行で科学をやっちゃいけない、というよくある教訓がここにも、という感じです

その後、タブーぽくなっていた遺伝に関する研究が許される雰囲気になります。行動遺伝学の方法で繰り返し確認されることは「たいていのことに関して、程度の差はあるが遺伝も環境もどっちも大事ぽい」ということ。非常に直感的というか、まぁ「それはそうだろう」という感じではあります。ただ、世間的には「優生学ダメ絶対」が強いドグマとして存在するので、例えば「IQ には遺伝の影響がある」と言うと攻撃される、みたいなのがあってツライ、という感じらしいです。そのツラみへの反論は紹介した和書にしつこいくらいたくさん書かれていました

双子法などの方法論

線虫とかであれば「遺伝子を欠損させて様子を見る」とかが許されるのですが、人間に対しては「良い教育を受けた群と悪い教育を受けた群を作る」とかですら人権問題です。というわけで自然とできた差を有効利用するしか無いのですが、そこで最も役に立っているのが双子のようです

一卵性双生児は、遺伝子的には完全に同一なので、一卵性双生児の間で差がある場合、それは全て環境起因であるということが言えます。そういう感じで「人の差が何起因か?」をモデル化したものとして、 Falconer model というものがあり、差を作る要因を、遺伝率 (A) 、共有環境 (C) 、非共有環境 (E) の3つに分解します。「人の差が出る要因は遺伝か環境である」は真だろうし、「環境は兄弟などで共有される環境と、友達関係など共有されない環境がにわけられる」と言われても、まぁそうねと思います

この A と C と E が完全に同一なら相関係数は 1 になるだろうということで、 A + C + E = 1.0 と考えます。これを使うと色々な方法で連立方程式が作れるという話になります。例えば一卵性双生児をたくさん見て、身長の相関係数が 0.92 であったとすると

0.92 = A + C

なので E = 0.08 となります。一卵性双生児は遺伝子が完全に同一で、共有環境もその定義から一致しているので、残りは非共有環境 E の影響であろう、と

次に二卵性双生児では身長の相関が 0.56 であった場合、二卵性双生児は遺伝子を半分共有しているので

0.56 = 0.5 * A + C

連立方程式を解くと A = 0.72 と C = 0.20 、となります

この論理、理解 & 納得できましたでしょうか。僕はまるで納得できず

1. そもそも相関係数て足したり引いたり処理できるもの?
2. 二卵性双生児の遺伝率の影響て厳密に 0.5 で良いの?
3. これ簡単に A が 1 越えたり C が負になるけど大丈夫?

などの疑問がずっと残り続けました。式を追ったりしていないので、完全に理解はしていないのですが、ある程度は納得したつもりです。 1 については分散を評価してるので OK という話で、 2 は遺伝要因の種類に依存するが 0.5 で良い特性が多い、らしい、 3 は実際論文の実験結果とか見ると、素直に計算すると C が 負になるようなデータが結構あるのですよねえ。その場合 C を 0 にクリップしてるように見えるけど、その特性に対してはモデルを見直すべきなのではという気も。共分散構造分析とかを勉強すると腑に落ちるのでしょうか。謎

この図の >85 years woman とか、素直に解くと A=1.28 C=-0.64 E=0.36 となるのですよね……

60 より早く死んだ人は事故とかだろうから、遺伝影響がない、という説明はわかりやすいのだけど

3つの値の解釈

この3つ、遺伝率と共有環境と非共有環境、語感と実態が割と違うので注意が必要、ということは、読んだもの全てで言及されていました

まず遺伝率 vs 環境ですが、例えば身長の遺伝率 90% というと、「親が高身長なら 90% の確率で子も高身長」のように感じますが、定義からも明らかなように、そういうい扱いができる数字ではないです。あくまで「人の個人差、統計的には分散を作る要因のうち遺伝子起因の割合」という、なんだかよくわからない数字です。その数字を言われたからといって即座に結論を導くことは難しい、その後の考察が必要な数字と理解しています

また、語感に反して、遺伝率は生物学的な数字というよりは、社会学的な数字と考えた方が良さそうで、人類全体や人種に対して不変なものではなく、社会環境に依存します。例えば身長の遺伝率は数十年のスパンで増加しているそうです。もちろん遺伝子が強力になってその影響力がガンガン増えている、というわけはなく、社会が豊かになり十分な栄養を取れない人が減り、環境がそろったから相対的に遺伝率が高くなっていく、という話です

平均身長は年々増えている

共有環境と非共有環境の分離も注意が必要です。共有環境は、直感的な説明は「家庭環境」ですが、親が双子の子供に対して違う扱いをしていたら、非共有環境の方にカウントされるのが注意が必要なところです

行動遺伝学3つの法則

以上を踏まえて、色んな調査をして、いろいろな特性に対して、3つの値を求めていきます。特性というのは、身長、 IQ 、統合失調症、学校での成績、社会的な成功、宗教性、犯罪性向、などなど、多岐に渡ります

色々とやった結果、3つの法則に合意が取れているようです。さっき紹介した双子法は行動遺伝学の方法で最も強力なものですが、例えば養子を使うと共有環境の影響の推定ができる、など、他の方法でも consistent に確認されている法則である、とのことです。いわく

1. 人間には行動特性には遺伝の影響がある
2. 共有環境の影響は小さい
3. 非共有環境の影響は大きい

1 は「人間は環境によってなにものにもなれる」主義者でなければ、まぁ受けいれらるものかなと思います。まぁ僕はたぶんアメリカ大統領にはなれない。 3 も常識的な話で、遺伝と環境、どちらもだいじ、という話です

2 について、 IQ 、反社会性、宗教性などの、一部の特性を除けば、おおむね共有環境の影響の影響はゼロか非常に少ない、という結果が出ることが多いようです。これは共有環境を家庭環境と考えると、かなり直感に反する話だと思います。これの解釈としては、単に「家族の子への影響は小さい」と考えることもできますが、「家族の影響は子によって違う働きかたをする」と考えることもできます

Coursera では「例えば離婚は、子の個性、性別や年齢に応じて、違った形で影響を与えるのかもしれない。そうだとすると、その影響は非共有環境に分類される」などと述べられています。行動遺伝学の行なっている実験では、この分別に関して結論は出せないと思っています。ので、ここからは科学的方法を離れて、各人が好きな解釈を考えれば良い領域だと思います。個人的には、「家族の影響が全くないとするのはさすがに不自然で、ボリュームゾーンの家庭はたぶん似通っていて大きな分散を形成しないという点と、指摘されている子が違った反応をするという理由の2点で、小さい数字が出るのでは」くらいに思っています

A=遺伝率 C=共有環境 E=非共有環境 緑の領域はおおむね狭い

遺伝子と環境の相互作用

遺伝子と環境は相互作用することが知られています。例えば、社会的経済的に有利な家庭と、社会的経済的に不利な家庭を何段階かに分類した上で、 IQ の遺伝率を調べる、みたいな研究があります。これでわかったことは、「社会的経済的に有利な家庭では、遺伝率が高くなる」ということだそうです

SES は socio economic status らしいです

これは高い能力を持ちうる遺伝子は、良い環境でこそ発揮されがちで、社会的経済的に不利な家庭では、高い能力を持ちうる遺伝子がムダになることもある、ということもあると。あともう一つ、頭が悪い遺伝子持ってると良い環境でも頭良くなりにくいということで……これはなかなか discouraging な結果ではあります。希望を持てる解釈のしかたとしては、「自分が得意なことを見極めてそれに取り組めば、才能を発揮できる可能性が高い」とも言えそう、というのがあるかな、と思います

一般的に悪いとされている特性についても、遺伝子と環境の相互作用があります。例えば MAOA という遺伝子が欠損していると、犯罪を犯す率が有意に高くなるそうですが、幼少期に虐待を受けていない群では特に犯罪性向が増えない、というようなことがあるらしいです

この相互作用のポジティブな使いかたとして、特定の病気になりやすい遺伝子を持っているとわかれば、その対策がうてる、ということがあります。行動遺伝学の本などによく出てくる例として、フェニルケトン尿症という病気があり、この原因遺伝子を持ってる人は、ほっておくと脳障害を発症しまいます。ですが、フェニルアラニンの摂取を食事制限でコントロールすることによって、発症を止められる、なんてのがあります。こういう話を聞くと自分も全ゲノム解析やってみたくなります

ところで、相互作用の話を考えると、 Falconer model というのは適切なのだろうか……という気持ちになります。 Falconer model のように遺伝率と環境を足し算で考えるのは輻輳説と言われ、しばしば相互作用説に攻撃されるが、輻輳説で良いのである、的なことが本には書いてあります。個々の人間で足し算は不適切だけど、集団の分散を考える場合は OK 、という話だと理解しているのですが……このあたりは統計知識不足のせいか、あまり腑に落ちていないです

行動遺伝学4つめの法則

Coursera では、「一般的な3つの法則に加えて、私としてはもう一つ追加したい」ということで、4つめの法則が提案されていました。 "Human behavioral traits are polygenic." つまり「人間の行動特性は複数の遺伝子に依存する」というものです

これはまぁ普通に考えてそうでしょう。行動特性というのは普通、複雑なものなので、この遺伝子があると高 IQ 、とか、この遺伝子があると統合失調症になる、とか、そういう単純なものではない、と。逆に単純に一箇所で原因が特定できる遺伝子もあり、少し前であげたフェニルケトン尿症なんかは、遺伝子を一箇所見ればわかるものらしいです。メンデルが豆の色とかで研究していたのは、この手の polygenic でない遺伝子ですね。がまぁ、そういうのは例外で、ほとんどの行動特性は、複数の、非常に多くの遺伝子に依存している、という話です

例えば統合失調症では、 1990 年代から15年かけて行なわれた、大規模実験があります。これは 2000 人の統合失調症患者と、 2000 人の対照群に対して、 648 箇所の遺伝子を調べた、というものです。この実験では 15 年もがんばってやったにも関わらず、「この中に有意に統合失調症と関係があると言えるものはない」という悲しい結論となって終わりました

このような結果になった理由として考えられているものは、「統合失調症の強い原因遺伝子なんてものはなく、非常にたくさん、少なくとも1000を越える原因遺伝子があり、それら一つ一つの影響は非常に小さいので、 2000 人くらいのサンプルでは有意なことは言えない」というものです

その後、ゲノム解析はすごい勢いで進化していき、ゲノムのほぼ全域をカバーできる GWAS という手法が確立し、またサンプル数を患者2万以上、対照群4万近く、という規模に増やして始めて、 22 の遺伝子が有意である、という結論が 2013 年に出た、という感じらしいです

2013 年の結果に対するマンハッタンプロット

このグラフはマンハッタンプロットと言うらしいのですが、横軸は遺伝子の場所で、縦軸は、縦軸は P 値に対して log_10(p) です。 7 くらいのところに赤い横線がありますが、 10M くらいの箇所を調べているので、 P 値が 10^-7 より小さくならないと、統計的に有意である、とはいえない感じです。つまりこの赤い線を越えたところにあるいくつかの点が、有意に統合失調症への影響がありそう、とされた 22 の遺伝子らしいです (なんか20個も赤線越えてる点無いように見える気もするけど)

感想

この手の話題、個人の信条の問題だと思ってたので、こういうことを統計的に分析する、ということ自体を楽しく思いました。おおむね直感的に真と感じるようなことを裏打ちするような形で、割といろんなことがわかっているのだなぁ、と

最近は遺伝学側の進化により、社会学的な雰囲気より生物学的な側面が大きくなってるのも面白ポイントに思いました。特に遺伝子情報の医療利用など、夢があって良いなと

あと、このあたりの話は、簡単に科学的な知見がイデオロギーに歪められうる、というのも面白いところだな、と。これは色んな科学分野であるあるでしょうけど……そういえば、行動遺伝学と似たような興味から、 犯罪学という本を読んでいたことがあったのですが、古い時代だと「犯罪をするやつは脳が小さい」みたいな珍説が色々出てきて楽しかったです。ちなみにその説を提案した学者は脳が小さかった、というオチつきです

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